【シャニマス】円香パーカーにデビ太郎ショルダーバッグ……MUSIC DAWNグッズの充実ぶりがすごい

945: 名無しさん 2020/09/01(火) 21:04:52.43
円香のパーカー売ってて草

 

970: 名無しさん 2020/09/01(火) 21:08:42.19
三峰のキャップ3種類目で草
これもう一生バリエ増やせるだろ

 

990: 名無しさん 2020/09/01(火) 21:13:00.39
アソビストアみにいったら円香のパーカー売ってた
プロデューサーに着られたら舌打ちどころじゃ済まねえだろ

 

22: 名無しさん 2020/09/01(火) 21:15:14.97
新デビ太郎グッズ来てるじゃん!

 

24: 名無しさん 2020/09/01(火) 21:15:59.52
これからライブで樋口パーカーやデビ太郎パーカーに
デビ太郎ショルダーバックおじさんを見ることになるのか…

 

29: 名無しさん 2020/09/01(火) 21:17:18.21

普段遣いはできないけど欲しい

 

30: 名無しさん 2020/09/01(火) 21:17:26.26
三峰のファッションの商品化率高すぎだろ
帽子何個目だ

 

32: 名無しさん 2020/09/01(火) 21:17:36.90
デビ太郎味を占めすぎだろう

 

36: 名無しさん 2020/09/01(火) 21:17:42.98
ノクチルハーバリウムいいなほしいな

 

67: 名無しさん 2020/09/01(火) 21:23:10.33
>>36
ハーバリウムに味占めてるの嫌いじゃないわ、単純に綺麗
前はアルストだっけ

 

104: 名無しさん 2020/09/01(火) 21:31:07.65
えんどうまめTシャツいいな
高いけど

 

108: 名無しさん 2020/09/01(火) 21:32:06.49
ストレイグッズ少ないなと思ったがタンブラーセットは使えそうなので買うわ
アルストブックカバーやこがたんのマイクみたいな小物拾って商品化してるやつもいいなぁ

 

135: 名無しさん 2020/09/01(火) 21:38:02.94
グッズラインナップ見てるけどなんか周年ライブに勝るとも劣らないぐらいの点数だな
やっぱりこれ本来はちゃんとしたライブやるつもりで抑えてた日程なのか

 

141: 名無しさん 2020/09/01(火) 21:40:01.70
>>135
会場って大きいとこだと1年以上前から抑えてたりするしそうかも知れんね
とりあえず配信でも楽しみ

 

引用元: https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/gameswf/1598944829/

https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/gameswf/1598961642/

20 件のコメント

  1. 名無しさん : 2020/09/02(水) 15:56:56 ID:QwMTYwNDk

    ジャスティスVのTシャツ、この手の戦隊にしては真ん中が緑色だけど、
    リーダーはレッドとか決まってないんだっけ?w

    • 名無しさん : 2020/09/02(水) 16:02:32 ID:QwMjU0Njk

      きもちわる

      1
  2. 名無しさん : 2020/09/02(水) 15:46:57 ID:AyNjg1NTk

    ハーバリウムめっちゃキレイだな……

    • 名無しさん : 2020/09/02(水) 16:02:17 ID:QwMjU0Njk

      ダサくね?
      オタクはセンスないんだね

      • 名無しさん : 2020/09/02(水) 16:47:16 ID:k0NDA1NzM

        キミもオタクやんw

        1
    • 名無しさん : 2020/09/02(水) 16:28:25 ID:QwMjc4ODU

      ハーバリウムいいよな…でもガシャ10連分だから注文しようか悩むわ

  3. 名無しさん : 2020/09/02(水) 15:43:11 ID:AyNjg1NTk

    円香のパーカー改めてみるとキャラ知らなければ普通に着れるな
    こういうのの着心地ってどうなんだろ?

    • 名無しさん : 2020/09/02(水) 16:01:54 ID:QwMjU0Njk

      くっさ

    • 名無しさん : 2020/09/02(水) 18:25:08 ID:QwMjc4MDE

      荒らしじゃないけど背中の羽根は普通にダサいと思う

  4. 特に金髪ショートのヤツぶす : 2020/09/02(水) 15:42:45 ID:QwMjU0NjQ

    、110頁。ISBN 9784905192329。
    ^ 海野文彦『沖縄懐かし写真館 復帰前へようこそ』新星出版、2012年、112頁。ISBN 9784905192329。
    ^ a b c やんばる国道変遷誌編集委員会『やんばる国道物語』内閣府沖縄総合事務局 北部国道事務所、2005年、106頁。
    ^ a b c “沖縄の復帰に伴う特別措置に関する法律”. e-Gov法令検索. 総務省行政管理局. 2013年11月12日閲覧。
    ^ a b 「3.沖縄問題…(1)施政権返還問題~第3節 北米地域」『昭和47年版わが外交の近況』、外務省、1972年7月、2014年9月24日閲覧。
    ^ 『月刊 青い海 6月号』青い海出版社、1978年、143頁。
    ^ 『バスマガジン vol.11』三推社、2005年、66頁。ISBN 9784063662252。
    ^ “「島ネタCHOSA班」2012年04月05日 No.1410号”. 週刊レキオ. 2013年12月14日閲覧。
    ^ a b c d “Qリポート おぼえていますか「730(ナナサンマル)」”. 琉球朝日放送 (2012年7月31日). 2013年11月12日閲覧。
    ^ a b c d やんばる国道変遷誌編集委員会『やんばる国道物語』内閣府沖縄総合事務局 北部国道事務所、2005年、107頁。
    ^ a b “ナナサンマル 一警官奔走録/元那覇署長・久高さん自伝”. 47NEWS(よんななニュース) (共同通信社). オリジナルの2013年12月13日時点におけるアーカイブ。 2013年12月14日閲覧。
    ^ a b “ひと”. 沖縄タイムス. (2008年7月30日)
    ^ a b c d e f g 琉球新報: p. 7. (2008年7月30日)
    ^ 比嘉康助『沖縄730写真日記 OKINAWA交通方法変更の記録』比嘉康助、1979年、41頁。
    ^ 『沖縄730道の記録』(記録映画) – 6分頃
    ^ 『沖縄730道の記録』(記録映画) – 11分30秒頃
    ^ 『沖縄730道の記録』(記録映画) – 12分頃
    ^ 730、沖縄 中日映画社 1分40秒頃
    ^ 『沖縄730道の記録』(記録映画) – 24分頃
    ^ 『沖縄730道の記録』(記録映画) – 5分30秒頃
    ^ 『沖縄730道の記録』(記録映画) – 6分30秒頃
    ^ 『沖縄730道の記録』(記録映画) – 9分頃
    ^ a b c d e f 『バスマガジン vol.11』三推社、2005年、68頁。ISBN 9784063662252。
    ^ 比嘉康助『沖縄730写真日記 OKINAWA交通方法変更の記録』比嘉康助、1979年、62頁。
    ^ 『沖縄バス株式会社30周年記念誌』沖縄バス、1981年、31頁。
    ^ 『那覇交通株式会社 創立30周年記念誌』那覇交通、1981年、14-15頁。
    ^ a b 『バスマガジン vol.11』三推社、2005年、68-69頁。ISBN 9784063662252。
    ^ a b c 『バスマガジン vol.2』三推社、2003年、55頁。ISBN 4063662055。
    ^ “「映像でつづる復帰30年」” (2006年10月11日). 2013年11月12日閲覧。
    ^ a b “那覇で「730狂騒曲」展-当時の交通標識や関係資料200点を展示”. 那覇経済新聞. (2008年8月8日). オリジナルの2014年9月24日時点におけるアーカイブ。 2014年9月24日閲覧。
    ^ a b “交通方法変更30周年記念展開催-那覇市歴史博物館で4日から”. 日報ニュースドットコム (八重山日報社). (2008年7月4日). オリジナルの2013年12月14日時点におけるアーカイブ。 2013年12月14日閲覧。
    ^ “作品目録…1978年の作品”. 作品検索. シネマ沖縄. 2010年7月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年9月25日閲覧。
    ^ 『沖縄県警察史 第3巻(昭和後編)』沖縄県警察本部、2002年、1354頁。
    ^ 沖縄県交通方法変更対策補助金(教習所施設および教習用車両)公布要領
    ^ 沖縄タイムス: p. 13. (1978年6月30日)
    ^ a b 海野文彦『沖縄懐かし写真館 復帰前へようこそ』新星出版、2012年、114頁。ISBN 9784905192329。
    ^ 7.30交通方法変更記念誌刊行委員会『バス業界7.30の記録 沖縄の交通方法変更記念誌』琉球バス、1980年、77頁。
    ^ 7.30交通方法変更記念誌刊行委員会『バス業界7.30の記録 沖縄の交通方法変更記念誌』琉球バス、1980年、84-85頁。
    ^ 比嘉康助『沖縄730写真日記 OKINAWA交通方法変更の記録』比嘉康助、1979年、12-15頁。
    ^ 7.30交通方法変更記念誌刊行委員会『バス業界7.30の記録 沖縄の交通方法変更記念誌』琉球バス、1980年、79頁。
    ^ 比嘉康助『沖縄730写真日記 OKINAWA交通方法変更の記録』比嘉康助、1979年、16頁。
    ^ 7.30交通方法変更記念誌刊行委員会『バス業界7.30の記録 沖縄の交通方法変更記念誌』琉球バス、1980年、30頁。
    ^ “株式会社琉球バス交通の事業開始のお知らせ (PDF)”. 第一交通産業 (2006年8月31日). 2013年11月12日閲覧。
    ^ 7.30交通方法変更記念誌刊行委員会『バス業界7.30の記録 沖縄の交通方法変更記念誌』琉球バス、1980年、31頁。
    ^ 7.30交通方法変更記念誌刊行委員会『バス業界7.30の記録 沖縄の交通方法変更記念誌』琉球バス、1980年、31-32頁。
    ^ a b 7.30交通方法変更記念誌刊行委員会『バス業界7.30の記録 沖縄の交通方法変更記念誌』琉球バス、1980年、34頁。
    ^ 7.30交通方法変更記念誌刊行委員会『バス業界7.30の記録 沖縄の交通方法変更記念誌』琉球バス、1980年、42頁。
    ^ 『沖縄バス60年のあゆみ』沖縄バス、2011年、30頁。
    ^ a b c 7.30交通方法変更記念誌刊行委員会『バス業界7.30の記録 沖縄の交通方法変更記念誌』琉球バス、1980年、38頁。
    ^ 『業務概況 昭和53年度』沖縄県陸運事務所、1979年、21頁。
    ^ a b c d 『バスマガジン vol.11』三推社、2005年、16頁。ISBN 9784063662252。
    ^ a b “日野RE101 (ナナサンマル車)”. 東陽バス. 2013年11月12日閲覧。
    ^ a b “730バス「1064号車」運行情報”. 沖縄バス. 2013年11月11日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2013年11月12日閲覧。
    ^ “那覇交通株式会社と営業譲受けに関する正式契約締結のお知らせ (PDF)”. 第一交通産業 (2004年6月30日). 2013年11月12日閲覧。
    ^ a b 『バスマガジン vol.49』講談社ビーシー、2011年、17頁。ISBN 9784063667066。
    ^ 『バスマガジン vol.11』三推社、2005年、19頁。ISBN 9784063662252。
    ^ a b 『バスマガジン vol.11』三推社、2005年、22頁。ISBN 9784063662252。
    ^ 『バスマガジン vol.11』三推社、2005年、27頁。ISBN 9784063662252。
    ^ 7.30交通方法変更記念誌刊行委員会『バス業界7.30の記録 沖縄の交通方法変更記念誌』琉球バス、1980年、65頁。
    ^ 7.30交通方法変更記念誌刊行委員会『バス業界7.30の記録 沖縄の交通方法変更記念誌』琉球バス、1980年、55頁。
    ^ 『バスマガジン vol.2』三推社、2003年、54-55頁。ISBN 4063662055。
    ^ “株式会社港川整備の株式取得に関するお知らせ (PDF)”. 第一交通産業 (2007年9月5日). 2013年11月12日閲覧。
    ^ 7.30交通方法変更記念誌刊行委員会『バス業界7.30の記録 沖縄の交通方法変更記念誌』琉球バス、1980年、88頁。
    ^ 『今日は路線バスで行こう 〜12人が撮ったバスなシーン〜』気候アクションセンターおきなわ、2010年、60頁。
    ^ 『バスマガジン vol.11』三推社、2005年、20頁。ISBN 9784063662252。
    ^ 『バスマガジン vol.49』講談社ビーシー、2011年、16頁。ISBN 9784063667066。
    ^ 『バスマガジン vol.11』三推社、2005年、26頁。ISBN 9784063662252。
    ^ 『バスマガジン vol.11』三推社、2005年、18頁。ISBN 9784063662252。
    ^ 『バスマガジン vol.11』三推社、2005年、25頁。ISBN 9784063662252。
    ^ 以下、主たる内容は琉球新報社(編) 1992, pp. 186-193
    ^ 7.30交通方法変更記念誌刊行委員会『バス業界7.30の記録 沖縄の交通方法変更記念誌』琉球バス、1980年、0頁。
    ^ “730記念碑 塗り替え 元県警職員と大浜中生徒”. 琉球新報 (琉球新報社). (2013年8月3日) 2013年12月14日閲覧。
    ^ “石垣島の風景と歴史(周遊の旅・東回り編)”. 石垣市. 2016年4月16日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2013年12月14日閲覧。
    ^ “730 – せいねんぶLOG”. 宮古島観光協会青年部. 2016年3月5日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2013年12月14日閲覧。
    ^ 『沖縄バス60年のあゆみ』沖縄バス、2011年、31頁。
    ^ “きょう「730」から40年 昭和の名車たち、右側通行を再現”. 琉球新報 (琉球新報社). (2018年7月30日) 2018年7月30日閲覧。
    参考文献 編集
    琉球新報社(編)『ことばに見る沖縄戦後史 パート2』ニライ社、1992年3月。ISBN 4-88024-150-4。
    まぶい組(編)『おきなわキーワードコラムブック 事典版』沖縄出版、1989年8月。
    関連項目 編集
    対面交通
    ダゲン・H
    外部リンク 編集
    ウィキメディア・コモンズには、730 (交通)に関連するカテゴリがあります。
    やんばる国道物語 – 復帰後の道(1972年〜2000年) – やんばるロードネット(内閣府 沖縄総合事務局 北部国道事務所)
    人は右 車は左 沖縄の交通ルール変更 – NHKニュース(動画・静止画) NHKアーカイブス
    映画『沖縄730 道の記録』 – 科学映像館(科学映像館を支える会)Webサイトより
    映画『沖縄730 道の記録』 – YouTube – 沖縄県公式チャンネル
    最終編集: 1 か月前、Bcxfubot
    関連ページ
    沖縄自動車道
    日本の沖縄県を通る高速道路

    那覇バスターミナル
    日本のバスターミナル

    琉球バス交通
    Wikipedia
    コンテンツは、特に記載されていない限り、CC BY-SA 3.0のもとで利用可能です。
    プライバシー・ポリシー利用規約デスクトップ

  5. 特に金髪ショートのヤツぶす : 2020/09/02(水) 15:42:03 ID:QwMjU0NjQ

    展示物から《当時の展示物の一部に関しては『730(ななさんまる)』に於いて写真画像として掲載されている》
    ^ 当時放映されていたテレビCMや、県民向けに配布されていたパンフレットなどが紹介されている。なお、本作品で紹介されたテレビCMは、前出のプロボクサー具志堅が出演した版とは異なるものとなっている。
    ^ 現在の株式会社琉球バス交通[44]。
    ^ 当時存在した17社[50]。
    ^ 当時、一般貸切旅客自動車運送事業者であった中部観光バス株式会社[51]の台数も含まれていることから、ここでの台数は観光バスを含む台数である。
    ^ 当時存在した5社の観光バスを含む台数[1][52]。
    ^ 「730バス」と呼ばれる場合もある[54]。
    ^ 沖縄バスの関連会社として、沖縄ふそう自動車が存在する。
    ^ 現在の那覇バス株式会社[55]。
    ^ 海洋博覧会開催に伴い予想された約500万人の入場者数に対応するため、政府の補助金を用いて新車150台のバスが導入されたが、開催は1975年で730実施以前であったため左ハンドル車での導入であった[1][62]。
    ^ 現在の株式会社丸長車体および沖縄第一モータース株式会社[63]。
    ^ 例えば、那覇交通の729車は1979年から中国への輸出が始まり、合計で203台が輸出された[1]。
    出典 編集
    ^ a b c d e f g h i j 『バスマガジン vol.11』三推社、2005年、67頁。ISBN 9784063662252。
    ^ 海野文彦『沖縄懐かし写真館 復帰前へようこそ』新星出版、2012年

  6. 名無しさん : 2020/09/02(水) 15:39:21 ID:QwMjc4ODU

    なんかヤベー奴いて草

  7. 特に金髪ショートのヤツぶす : 2020/09/02(水) 15:35:07 ID:QwMjU0NjQ

    現役時代 編集
    1973年のドラフト会議を前に山下は「巨人が第一志望。在京球団でも構わない」と態度を表明していたが、その言葉通り、1番クジで1位指名した大洋ホエールズに入団。当初の背番号は20。オーナーの中部謙吉は山下の入団を大変喜び、ヘッドコーチの秋山登の提案もあってユニフォームの色を出身地の静岡の名産にちなんだオレンジ(みかん)と緑(お茶)に変えた(これは親会社が食品会社なので食品にちなんだユニフォームにしてイメージアップを図る意味もあった。なお、この配色は湘南電車の色としても広く知られている)。

    ルーキー・イヤーから守備力は評価され、1974年のオールスターゲームに、控え選手であったにも関わらずファン投票で選出されるほどの人気があったが、期待された打撃面が不安定で、米田慶三郎からレギュラーを奪うまでには至らなかった。

    1975年、背番号を1に変更し、遊撃のレギュラーに定着。翌1976年、遊撃手の守備率の当時のセ・リーグ記録を樹立し、ダイヤモンドグラブ賞を初受賞する。以後、ダイヤモンドグラブ賞は1983年まで8シーズン連続で受賞(遊撃手としての受賞回数は現在も最多記録)している。1977年、遊撃手連続守備機会無失策のセ・リーグ記録を樹立すると、翌1978年には自身の記録を上回る日本記録を樹立した[1]。

    名手と讃えられた守備に比べ、打撃面は毎年2割台中盤に留まり、打点も少なかったため、中軸を担うことはなかったが、最多二塁打を2回取るなど、全盛期はチャンスメーカー的な中距離ヒッターとして起用されていた。

    1985年、新監督の近藤貞雄により、高木豊と入れ替わりで二塁手へコンバートされる。翌1986年には一塁手だった田代富雄の故障後、三塁で拙守が目立っていたカルロス・ポンセが一塁へ回ったことから、三塁手へコンバート。1986年8月1日の対ヤクルト戦では阿井英二郎から自身初、現役時代では唯一のサヨナラホームランを放っている[2]。

  8. 特に金髪ショートのヤツぶす : 2020/09/02(水) 15:34:30 ID:QwMjU0NjQ

    プロ入り前 編集
    清水東高校から、一般入試で慶應義塾大学商学部に進学。1年生からレギュラー遊撃手となり、高校の2年先輩である松下勝実(松下電器)とクリーンアップを組み活躍する。東京六大学野球リーグでは、1年上の萩野友康、長谷部優の両左腕エースを擁し、1971年秋季リーグからの3連覇に3番打者として貢献。

    1972年の全日本大学野球選手権大会では、決勝で関大の山口高志に完封され準優勝にとどまる。同年から2年連続で日米大学野球選手権大会日本代表に選出された。1972年の大会では2本塁打を放つ。4年時には主将を務め「慶應のプリンス」と呼ばれた。リーグ通算88試合に出場し、314打数102安打、11本塁打、50打点、打率.325、首位打者1回(1973年春季リーグ)、ベストナイン4回。

  9. 特に金髪ショートのヤツぶす : 2020/09/02(水) 15:34:05 ID:QwMjU0NjQ

    山下 大輔
    神奈川フューチャードリームス ゼネラルマネージャー(GM)
    Daisuke Yamashita on March 22, 2012.jpg
    DeNA二軍監督時代
    (2012年3月22日、平塚球場にて)
    基本情報
    国籍
    日本の旗 日本
    出身地
    静岡県静岡市清水区
    生年月日
    1952年3月5日(68歳)
    身長
    体重
    176 cm
    78 kg
    選手情報
    投球・打席
    右投右打
    ポジション
    遊撃手、二塁手、三塁手
    プロ入り
    1973年 ドラフト1位
    初出場
    1974年4月7日
    最終出場
    1987年10月22日
    経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
    選手歴
    静岡県立清水東高等学校
    慶應義塾大学
    大洋ホエールズ
    横浜大洋ホエールズ (1974 – 1988)
    監督・コーチ歴
    横浜ベイスターズ (1993 – 2000, 2003 – 2004)
    東北楽天ゴールデンイーグルス (2005)
    横浜DeNAベイスターズ (2012 – 2013, 2015)
    この表について
    経歴 編集

  10. キャラが臭い : 2020/09/02(水) 15:32:49 ID:QwMjU0NjQ

    メインメニューを開く
    Wikipedia
    検索
    山下大輔
    日本の元プロ野球選手、野球指導者
    言語
    ウォッチリストに追加
    編集
    山下 大輔(やました だいすけ、1952年3月5日 – )は、静岡県清水市(現:静岡市清水区)出身の元プロ野球選手(内野手、右投右打)・監督・コーチ、野球解説者。愛称は「大ちゃん」。

  11. キャラが臭い : 2020/09/02(水) 15:29:14 ID:QwMjU0NjQ

    さなければならないというルールである(ビデオカメラで撮影するための同行ディレクターも1人ついているが、マネージャーは付かない)。たとえ目的地の距離が近くても遠回りしなければならなかったり、途中出演タレントの実家のところへはちょうど通るところであっても行くこともすら許されなかったりとルールはかなり徹底されている。このオープニングゲームは移動列車内で行われていたこともしばしばあり、列車内で負けてガリバーくんとなってしまった有名人は有無を言わさず途中の駅で無理矢理強制下車させられてしまう(強制下車に充てられた駅は例として「園部駅」「宝塚駅」「姫路駅」「和歌山駅」「御坊駅」などがあった)。これは王様(女王様)になった芸能人も、ガリバーくんを見送るために一度列車からホームへ降りる仕組みになっている(例として園部駅の場合、オープニングゲームに負けたガリバーくんをホームに残した状態で特急「はしだて3号」+「まいづる3号」が発車していく)。そのためか王様(女王様)へのおしながき内容は、途中駅でガリバーくんを見送った後改めて公開されることになっている。(ただしガリバーくんの目的地の方が遠い場合もあり、この場合はガリバーくんが強制「乗車」となった)。もちろんガリバーくん側からは、番組の最後で合流しない限り王様(女王様)側のその後の状況を確認することはできない。

    なお、ガリバーくんになった有名人は「ガリバーくん○○号」という称号で○○の部分には数字が入るがこれは通算の放送回数の意味もあらわしている(『GO!GO!ガリバーくん』と改題してからもこの称号は続いた)。ちなみに連番で出た場合は、前半後半の2週に分けての放送となる。この処置は旅先によって収録の量が多い場合もあることや、編集に時間を費やすため1回の放送で無理な場合、続きを次週放送にするという体裁を取っていることによるものである。

    出発駅は「新大阪駅」、「岡山駅」、「広島駅」が主である。目的地は西日本地区(近畿・中国・四国・九州地方)が中心であるが中部·北陸地方、東京も度々取り上げており、2000年8月の放送では1度だけ北海道(この回の出発駅は札幌駅で最終目的地は富良野駅であった。強制下車の駅は岩見沢駅だった。なお、北海道内では2か月後の10月に放送された。)も取り上げていた。なお、共同製作参加局のテレビ愛媛と高知さんさんテレビ(1997年より)は、JR四国エリアである。中でも「岡山駅」または「広島駅」を出発駅にするケースは、主に「アーバンネットワーク」エリアを採り上げる回を中心に適用された。東京を目的地とする回でも「岡山駅」「広島駅」を出発駅としていたのは、スポンサーとの契約上もあってか、道中に必ずJR西日本エリアを内包しなければならないという取り決めがあったためと思われる。

    また、目的地が「北近畿ビッグXネットワーク」と関連するエリアを採り上げた回では、出発駅をわざわざ「京都駅」にしていたこともあった。これは例として2004年7月4日放送分において「丹後・舞鶴」を採り上げた際、京阪神地区から舞鶴方面への移動列車が京都駅始発の「まいづる」と「タンゴディスカバリー」(2012年現在は後者も前者に統合)しかないため、そうせざるを得なかったものだと思われる。また同年9月12日放送分で「天橋立」を採り上げた際、新大阪駅始発の「文殊」と「タンゴエクスプローラー」(または福知山駅における「北近畿」と「はしだて」との乗り継ぎの適用も一応効く)があるのに、敢えて京都駅始発の「はしだて」を移動列車に充てたため、この回もわざわざ同駅を出発駅にしていた(翌2005年4月17日放送分の「天橋立・久美浜」でも同様)。さらに同年11月21日放送分で「香住・湯村温泉」を採り上げた際は、「大阪駅」を出発駅としていた。これは同駅始発の特急「はまかぜ」を移動手段に充てたためである。

    番組の最後に「旅のおさらい」というコーナーがあり、番組での「王様の旅」の行程を紹介した後、JR西日本の関西地区からの企画商品の宣伝を行っていたが、岡山放送・テレビ新広島・山陰中央テレビ・石川テレビ・福井テレビは、コーナーごとJR西日本各地区(岡山支社・広島支社・米子支社・金沢支社)の企画商品のCMに差し替えられていた。なお、JR四国エリアのテレビ愛媛・高知さんさんテレビは「旅のおさらい」をそのまま放送していた(山陰中央テレビ・テレビ新広島・福井テレビでも一時期「旅のおさらい」をそのまま放送していたことがある)。ノンスポンサーの地域では「旅のおさらい」のコーナーは放送せず、通常のスポットCMを流していた。

    正月にスペシャル版が放送されることがあったが、こちらは海外やJR他社エリアが中心となっていたためか、関西テレビの単独製作で、JR西日本がスポンサーとならず、番組販売扱いとなっていたためか、放送時間も各地で異なっていた(GO!GO!ガリバーくんも同様)。関西テレビでは、1月2日の午前または昼間時間帯に放送される事が多かったが、他の地域ではその時間帯に、フジテレビからドラマの集中放送をネット受けした局もあり、それらの局では当然ながら後日の放送となっていた。

    番組終了とその後 編集
    2005年4月25日に発生したJR福知山線脱線事故に伴い、6日後の5月1日放送分からCMが公共広告機構(現:ACジャパン)のものに差し替えられ(関西テレビ・共同制作局・テレビ西日本の場合。石川テレビと福井テレビは公共広告機構とローカルスポンサーのCM一部地域の時差放送や不定期放送のノンスポンサー地域は通常のスポットCM)、同時に出発駅からのJR特急(新幹線)での旅の目的地への移動シーンがカットされた。また、出発地(オープニング)が新大阪駅などから、関西テレビ本社前に変更された。

    同年9月25日の放送をもって9年半476回続いた番組はその歴史に幕を下ろした。

    その後、同じ番組コンセプトで番組名を『GO!GO!ガリバーくん』と改題して、同年10月2日(BSフジは10月8日)から2006年9月30日まで1年間(全49回)放送された。また、同時にデジタルハイビジョン化された(実際は4:3SD画質)。「王様の旅」で乗る乗り物は、列車に限らず航空機、フェリー、リムジン(リムジンは1996年の番組開始当初から使われている)、クルーザー…などあらゆる交通手段を駆使することになる。目的地も西日本エリアに限定せず、日本全国、果ては海外にまで広げられた。この範囲拡大が地方局にとっては大きな負担となったのか、関西テレビ以外の局は2006年3月で制作から撤退し、同時ネットから番組販売に移行した(関西テレビ以外ではFNS中四国地区基幹局のテレビ新広島が幹事局となるケースが多かった)が、これも1年で終了し、トータルで525回続いた一連の「ガリバーくん」シリーズは、10年半の歴史に幕を降ろした。

    JR西日本は、2006年4月2日から放送を開始した後継番組の『旅っきり!〜ふれあい紀行〜』でも、単独提供を続けていた。しかし、2008年3月30日の放送終了によって、(中断期間を含めて)延べ12年間続いた関西テレビ制作・日曜9:30枠のJR西日本単独提供番組シリーズも幕を閉じた。なお、同社の単独提供による日曜午前の紀行番組枠は、関西テレビと同じ在阪民放局の読売テレビで2011年5月1日から復活。放送枠は10:55 – 11:20で、復活当初は『ニッポン!おもてなし旅』を放送していたが、2012年4月1日から複数社提供(JR西日本の筆頭スポンサー扱い)による『クチコミ新発見!旅ぷら』を編成している。

    その一方で、関西テレビでは2020年3月15日(日曜日)の16:00 – 17:25に、『GO!GO!ガリバーくん』の終了から14年振りの復活版として『走れ!ガリバーくん2020』を放送。JR西日本が単独でスポンサーに付いたほか、レギュラー放送当時の共同制作局のうち、テレビ新広島と岡山放送が同時ネットを実施した。復活版は、「松江・出雲パート」(山陰中央テレビの放送対象地域内で収録)と「尾道・倉敷パート」(テレビ新広島・岡山放送の放送対象地域内で収録)の2本立て構成で放送されたが、山陰中央テレビでは同時ネットを見送っている。因みに、この特番での「ガリバーくん○○号」のカウントは『GO!GO!ガリバーくん』終了時のカウントを引き継いでいるため、525号からのスタートとなる。

    出演者 編集
    司会者(旅の案内人) 編集
    梅田淳(2004年3月までは関西テレビアナウンサー)
    杉本なつみ(関西テレビアナウンサー)
    藤本景子(同上)
    村西利恵(同上)
    吉原功兼(同上。続編の『GO!GO!ガリバーくん』ならびに復活特番『走れ!ガリバーくん2020』の尾道・倉敷パートのみ)
    レギュラー版の開始から2004年3月までの放送分では、基本として梅田のみで進行。梅田がフリーアナウンサーへ転身した2004年4月以降は、同局時代の後輩に当たる女性アナウンサー3名(杉本・藤本・村西)の3名を含めた4名が持ち回りで司会を務める体制へ移行したため、梅田は出演の機会を徐々に減らした。2005年4月3日放送分でレギュラー版の司会を降板したが、『走れ!ガリバーくん2020』では、松江・出雲パートにて15年振りに司会を担当した。

    ナレーター 編集
    桑原征平(2004年5月までは関西テレビアナウンサー→以降はフリーアナウンサー、ガリバーくん担当。番組終了時の提供読みも担当)
    レギュラー放送期間中は、1999年1月3日放送分の「1時間スペシャル」で初めて映像に登場。以降の放送回でも、梅田に代わって司会を務めることがあった。『走れ!ガリバーくん2020』では、メインナレーター扱いでガリバーくん側を担当したが、提供クレジットを割愛。
    牧野エミ(王様担当、番組スタート時の提供読み)
    1999年1月3日放送分の「1時間スペシャル」では、桑原と揃って映像に登場していた。レギュラー放送終了後の2012年11月17日に53歳で逝去したため、『走れ!ガリバーくん2020』では、杉本を王様側のナレーターに充てている。
    ガリバーくんになった有名人達 編集
    男性 編集

    浅田正行[150号、妻の清水よし子とペアで]
    有吉弘行(元猿岩石)[147号、186・187号:相方・森脇とペアで]
    安藤亮司[393号]
    飯尾和樹(ずん)[455号]
    井岡弘樹[64号、226号、401号:妻とペアで]
    池谷直樹[391号、444号、451号]
    池谷幸雄[24号、76号、104号]
    池乃めだか[368号]
    IZAM(元SHAZNA)[218号]
    石井康太(やるせなす)[458号:村西利恵アナとペアで]
    石井光三(株式会社石井光三オフィス代表取締役社長)[93号]
    石原良純[53号、89号、119号]
    維新力浩司(元力士)[363号]
    和泉修[5号、71号、151号:妻とペアで、210号、247号、346号、385号]
    稲川淳二[74号]
    井上竜夫[369号]
    上島竜兵(ダチョウ倶楽部)[69号]
    内場勝則[357号]
    内山信二[436号、472号]
    内海光司(元光GENJI)[97号]
    梅田淳[40号、48号、58号、90号、160号、264号、300号:妻と娘と親子で、392号、452号]
    江藤潤
    遠藤一彦[23号]
    大澄賢也[59号、137号:田中雅之とペアで(※初となるペアでのガリバーくん)、164号、268号]
    大竹一樹(さまぁ〜ず)[213号]
    大仁田厚[105号、117号、156号、257号、340号:宇恵さやかとペアで、373号、402号、430号:野々村真とペアで]
    大八木淳史[183号、256号]
    オール巨人[195号]
    オール阪神[321号]
    緒方耕一(元巨人選手)[179号]
    荻原次晴[390号、414号]
    おさる[202号、219号、271号、344号]
    オスマン・サンコン[72号]

    角田信朗[448号]
    加勢大周[331号]
    片岡鶴太郎[215号]
    ガッツ石松[333号]
    勝野洋[400号:妻のキャシー中島と長男の勝野洋輔と親子で]
    勝野洋輔[400号:父の勝野洋と母のキャシー中島と親子で]
    桂雀々[82号]
    加藤博一[30号、73号、168号]
    亀山忍[101号]
    嘉門達夫[4号、16号]
    川合俊一[28号]
    川崎麻世[167号]
    神田川俊郎[62号]
    神奈月[325号]
    岸田健作[467号]
    旭道山和泰
    工藤順一郎(工藤兄弟)[26号]
    久保田篤[8号、124号、149号]
    グレート義太夫[79号]
    黒田アーサー[109号]
    黒部進[274号]
    桑名正博[395号、409号、476号(※レギュラー放送での最後のガリバーくん)]
    ケント・フリック(ラジオDJ)[29号]
    香田晋[447号]
    小金沢昇司[95号]

    坂本ちゃん[281号、377号、411号、457号]
    定岡正二[12号、211号、306号]
    佐藤蛾次郎[170号、250号:妻とペアで、]
    宍戸錠[216号]
    獣神サンダー・ライガー(プロレスラー)[121号]
    周富徳[39号]
    島崎俊郎[3号、]
    島田洋七[34号]
    城みちる[15号]
    角盈男[131号、192号、225号、327号、352号]
    セイン・カミュ[227号]
    そのまんま東[459号]

    たいせー(シャ乱Q、現:たいせい)[269号、295号、317号]
    太平かつみ(かつみ♥さゆり)[318号]
    大平サブロー[54号、174号]
    大平シロー[161号]
    田尾安志[176号]
    高岡健治(現:高岡建治)[342号]
    高知東生[244号]
    高橋ジョージ(虎舞竜)[428号]
    高原兄(アラジン)[67号]
    高山知浩[301号:妻と息子とファミリーで]
    高山善廣[453号]
    太川陽介[475号]
    竹内ゆうじ[7号]
    武田修宏[322号、348号、418号、442号、471号]
    竹原慎二[384号、426号]
    立原啓裕[18号、85号]
    田中昌之(元クリスタルキング)[81号、110号、137号:大澄賢也とペアで、155号、197号、214号、304号、336号、454号、466号]
    谷隼人[424号]
    ダンカン[106号]
    ダンディ坂野
    チャック・ウィルソン[33号]
    月亭八方[433号]
    つぶやきシロー[139号、159号、462号]
    つまみ枝豆[75号]
    鶴久政治(元チェッカーズ)[136号、154号、263号]
    つるの剛士
    テツ(テツandトモ)[431号]
    寺門ジモン(ダチョウ倶楽部)[68号]
    出川哲朗[83号、127号、275号、307号、396号、422号、473号]
    渡嘉敷勝男[1号(※レギュラー放送1回目)、17号、47号、65号、94号、146号、292号、319号、429号]
    徳永善也(元チェッカーズ)[120号]
    土建屋よしゆき[128号]
    トモ(テツandトモ)[463号]
    ドロンズ石本[420号、434号]

    仲田幸司(元阪神⇒ロッテ投手、野球解説者)[130号、277号、386号]
    中野浩一[302号]
    中野英雄[293号]
    長原成樹[38号]
    仲本工事(ザ・ドリフターズ)[316号]
    なかやまきんに君[380号]
    なすび[285号、297号]
    なべやかん[279号]
    西川きよし[251号:親子とペアで]
    西川のりお[388号]
    錦野旦[349号]
    にしきのあきら[98号]
    仁科克基[308号]
    野々村真[2号、9号、49号、70号、152号、182号、345号、430号:大仁田厚とペアで]
    野村将希[408号]
    野村義男[166号]

    羽賀研二[32号、45号、96号、123号、181号、255号]
    萩原流行[298号]
    橋本真也(プロレスラー)[107号]
    畑山隆則[313号、361号、468号]
    原口あきまさ[310号、370号]
    原田篤[364号]
    原田伸郎[13号]
    パンチ佐藤[19号]
    肥後克広(ダチョウ倶楽部)[314号]
    布川敏和[221号、272号、312号]
    ふかわりょう[284号、335号、367号、387号、446号]
    藤波辰爾(プロレスラー)[46号]
    藤原喜明[122号、376号]
    ブラザートム[205号、223号、252号]

    前田耕陽[246号]
    マギー審司[413号、439号]
    槙原寛己(元巨人選手)[333号]
    まこと(シャ乱Q)[326号、338号]
    升毅[261号]
    松澤一之[31号、43号、114号、142号]
    松村邦洋[415号、449号]
    見栄晴[20号]
    水内猛[405号、417号]
    ミニミニ長渕(長渕剛のそっくりさん)[267号]
    宮尾すすむ[51号]
    モト冬樹[27号]
    森進伍(森進一のそっくりさん)[141号]
    森末慎二[371号]
    森脇和成(元猿岩石)[132号、186・187号:相方・有吉とペアで、]
    森脇健児[84号、108号]

    薬師寺保栄[50号、102号、201号:母とペアで]
    山川豊[305号]
    山口良一[355号]
    山下真司[204号]
    山本太郎[134号]
    吉村明宏[57号、118号、232号、289号、347号]
    与田剛[245号]

    ルー大柴[41号、140号、199号、290号、351号]
    力也[329号]
    安岡力也[175号、230号]

    輪島功一[334号]
    女性 編集

    青田典子[52号、77号]
    秋川リサ[60号]
    秋本奈緒美[283号]
    麻丘めぐみ[11号]
    浅田好未(元パイレーツ)[339号]
    朝凪鈴(元宝塚歌劇団、現:あさなぎりん)[61号、100号、178号]
    芦川よしみ[359号、389号]
    飯星景子[208号]
    生稲晃子[80号、243号、435号]
    石井麻里江[291号]
    石野敦子(現・宝乃純)[23号]
    磯山さやか[440号、460号]
    伊藤絵理香[229号]
    宇恵さやか[324号、340号:大仁田厚とペアで]
    宇江佐りえ[196号]
    大沢逸美[207号、231号、360号]
    大西結花[135号、438号]
    大原かおり[200号:母とペアで、217号、423号]
    大場久美子[63号、162号、193号、254号、383号、437号]
    大林素子[190号、209号、228号、332号、397号]
    大東めぐみ[92号、148号]
    大桃美代子[14号]
    奥野史子[10号]

    カイヤ[287号]
    カイヤ川崎[157号]
    梶原真弓(元シェイプUPガールズ)[115号]
    加藤貴子[450号]
    嘉門洋子[224号]
    川合千春[320号]
    川村令美[258号]
    川内朋子(芸能レポーター)
    川村ひかる[241号、262号、366号、464号]
    木内あきら[237号]
    菊池万理江(現:ひろせまい)[111号、133号]
    菊池美緒(現:松井稼頭央夫人)[173号]
    北沢まりあ[282号]
    キャシー中島[400号:夫の勝野洋と長男の勝野洋輔と親子で]
    熊谷真実[406号]
    熊田曜子[381号]
    来栖あつこ[343号、375号]
    久保恵子[412号、470号]
    小池祥絵[266号]
    小島可奈子[185号]
    小松みゆき[158号]
    小向美奈子[399号]

    斉藤こず恵[358号、403号、425号]
    斉藤満喜子[35号]
    坂井香代子[374号]
    佐藤江梨子[212号、253号、294号、311号、328号]
    柴田かよこ[299号]
    清水よし子(ピンクの電話)[99号、150号:夫の浅田正行とペアで、416号、461号]
    水前寺清子[259号]
    瀬戸カトリーヌ[303号、394号、445号]

    高樹澪[44号]
    武田久美子[138号]
    田中広子(現:田中ひろ子)[222号、278号、330号]
    谷川真理[372号]
    田村りんか[248号]
    津川友美[273号]

    内藤陽子[355号]
    中島史恵(元シェイプUPガールズ)[153号、184号、220号、265号:三瀬真美子とペアで、]
    中村由真[419号、474号]
    長与千種[25号]
    夏目敦子[239号]
    奈美悦子[86号]
    西川かの子[407号]
    西本はるか(元パイレーツ)[165号]
    根本はるみ[354号、382号、427号、443号]
    根本りつ子[91号、112号、235号]

    橋本志穂[234号、315号、337号、379号]
    浜野裕子(元C.C.ガールズ)[145号、171号、188号:森洋子とペアで、238号、260号]
    林マヤ[456号]
    原田徳子[143号]
    久本朋子[5号、398号]
    原久美子[37号、432号]
    原史奈[270号]
    福岡サヤカ[280号、353号]
    藤森みゆき[191号]
    宝積有香[56号]
    細川ふみえ[362号、421号、441号]
    細木美和[42号、55号、126号、163号]
    堀越のり[465号]
    堀ちえみ[36号、66号、87号]

    松野明美[404号]
    マリアン[177号]
    三浦早苗[103号]
    水沢アキ[125号]
    三瀬真美子(元シェイプUPガールズ)[116号、169号、265号:中島史恵とペアで]
    三井ゆり[206号]
    宮前真樹[21号、129号、198号]
    村西利恵アナウンサー[458号:やるせなす石井とペアで]
    持田真樹[309号]
    望月さや[276号、296号]
    本杉美香(元C.C.ガールズ)[172号、189号]
    森下涼子[180号、194号、236号]
    森本さやか[341号]
    森洋子[188号:浜野裕子とペアで]

    安めぐみ[286号、378号]
    柳明日香[240号]
    楊原京子(現:松永京子)[288号、350号]
    山田誉子(元C.C.ガールズ)[78号、88号、113号、144号]
    山田千鶴[365号]
    山本麻生[203号]
    山本恵美[242号]
    ゆきぽよ[526号]※2020年の復活特番
    吉田真由子[469号]

    りんごちゃん[525号]※2020年の復活特番

    若槻千夏[410号]
    スタッフ 編集
    走れ!ガリバーくん 編集
    構成 : 萩原芳樹、中川正博
    プレーン : 伊東博(大平シローが本名名義で担当)
    プロデューサー : 梁典雄(関西テレビ・当時)⇒武藤良博(関西テレビ・演出兼)⇒稲田聖子(関西テレビ・当時)⇒高島公美 (関西テレビ)、酒巻正幸(東通企画)
    AP (アシスタントプロデューサー) : 和宏美(旧姓:山本)
    ディレクター : 武藤良博(関西テレビ)、都築一興(東通企画)、古賀敏仁、遠藤陽介、森脇芳史、加藤貴光、石原直行、岡崎雅哉、北村崇、松元広幸、南大輔
    MA : 右見嘉英(東通AVセンター)
    エンディングテーマ : PSYCHODELICIOUS『不思議な旅』
    技術協力 : 東通(旧大阪東通)、東通テクノサービス(旧ティ・ディー・シー)、東通ライティング、東通AVセンター
    制作協力 : 東通企画(関西テレビが幹事局の時)/他社が幹事局の時はTSSプロダクション・OHKエンタープライズ他幹事局の関連会社
    制作 : 関西テレビ / 岡山放送、山陰中央テレビ、テレビ新広島、テレビ愛媛、高知さんさんテレビ(1997年より参加)
    制作幹事局となった局がテロップの先頭に表記された。
    走れ!ガリバーくん2020 編集
    プロデューサー:澤田芳博(関西テレビ)、冨安いたる・長谷川光生・小河雅洋(以上、begin)
    演出:秋山秀人
    ディレクター:江村英紀、恵村悟、大塚麻紀
    AP:小河さゆり
    AD:田森直希、福本真優
    構成:佐藤充彦
    リサーチ:フォーミュレーション
    編成:居川大輔(関西テレビ)
    宣伝:川上翔子(関西テレビ)
    カメラ:松村幸徳、田村晋介
    音声:奥野颯馬
    編集:井出慧
    MA:加々見信吾
    音効:有木岳人
    技術協力:コールツプロダクション、麻布プラザ
    企画協力:東通企画
    制作協力:begin
    制作著作:カンテレ(関西テレビ放送)
    共同制作局以外で放送された局 編集
    特記のないものはフジテレビ系列

    北海道文化放送(特に土日、祝日に放送されることが多かった。ノンスポンサーだが過去に1回だけローカルスポンサーがついたことがある。)
    青森放送(日本テレビ系)
    初期は青森テレビ(TBS系)で放送していた
    岩手めんこいテレビ
    さくらんぼテレビ
    仙台放送
    福島テレビ(1983年3月まではTBS系)
    ちばテレビ(独立UHF)
    tvk(独立UHF)
    富山テレビ
    石川テレビ(JR西日本のスポンサードネット)
    福井テレビ(JR西日本のスポンサードネット)
    テレビ静岡(金曜深夜に遅れネット)
    東海テレビ
    テレビ山口(TBS系)
    テレビ西日本(JR西日本のスポンサードネット)
    テレビ大分(日本テレビ系とのクロスネット)
    鹿児島テレビ
    沖縄テレビ
    ※不定期放送、途中打ち切り、途中からネット開始の局も含む

    書籍 編集
    「走れ!ガリバーくん」のおでかけブック : どーする、週末。特別編 (2004年4月) ISBN 4-8356-0406-7
    400回までの番組の旅先などが記載されている。

    関連項目 編集
    ズームイン!!サタデー(不定期に本番組とコンセプトが似た「グルメツアー」特集が組まれている)
    以下はいずれも、当番組のレギュラー放送終了後に読売テレビが制作しているJR西日本提供の紀行番組。当番組と同様に、系列局の一部でも放送されている。

    ニッポン!おもてなし旅(JR西日本が単独で提供)
    クチコミ新発見!旅ぷら(「2人の著名人がコンビで旅に赴く」という設定が当番組と共通)
    外部リンク 編集
    走れ!ガリバーくん2020(2020年復活特番の公式サイト)
    関西テレビ 日曜9:30 – 10:00枠
    前番組 番組名 次番組
    クマのプー太郎
    (遅れネット、1996.1.14 – 1996.3.31)
    走れ!ガリバーくん
    (1996.4.7 – 2005.9.25)
    GO!GO!ガリバーくん
    (2005.10.2 – )
    この項目は、テレビ番組に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル テレビ/ウィキプロジェクト 放送または配信の番組)。
    最終編集: 12 日前、240B:11:CD60:BC00:50E4:448F:51A6:4350
    関連ページ
    おんなは度胸!ビーチSUMO
    GO!GO!ガリバーくん
    旅っきり!〜ふれあい紀行〜
    Wikipedia
    コンテンツは、特に記載されていない限り、CC BY-SA 3.0のもとで利用可能です。
    プライバシー・ポリシー利用規約デスクトップ

  12. キャラがキモチワルい : 2020/09/02(水) 15:28:31 ID:QwMjU0NjQ

    んでしまえばガリバーくんとなる)、勝てば豪華な王様の旅が当たるが、負ければ過酷なガリバーくんの旅が待っていて、お品書きに書かれた条件(目的)の達成と与えられた低予算の所持金(過去には開通前の橋を渡るための通行許可証もあった)だけで目的地を目指

  13. 名無しさん : 2020/09/02(水) 15:25:15 ID:QwMjU0NjQ

  14. 名無しさん : 2020/09/02(水) 15:23:06 ID:QwMjU0NjQ

    メインメニューを開く
    Wikipedia
    検索
    走れ!ガリバーくん
    言語
    ウォッチリストに追加
    編集
    『走れ!ガリバーくん』(はしれガリバーくん)は、1996年4月7日から2005年9月25日まで関西テレビほかで毎週日曜日9:30 – 10:00に放送されていたJR西日本一社提供(関西テレビ・共同制作局・テレビ西日本。同時ネットの石川テレビ・福井テレビはJR西日本とローカルスポンサー、末期はローカルスポンサーのみ)の旅番組である。

コメントをする